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事務局日誌

2019年12月13日

民医連に就職したわけ(事務員の忘年会でのあいさつ)

忘年会で長くて不評だった勤続表彰時のあいさつを紹介します。

はじめに 「必然」ということばにこだわって

 事務員のRです。わたくしは1989年4月に民医連の病院に就職しました。今年で30年を経過しました。
 就職する前、大学では教員養成系の大学で哲学を専攻しました。はじめは高等学校の教員を目指していました。主にヘーゲルの論理学を学びました。ヘーゲルの論理学は、量と質、偶然と必然、内容と形式、本質と現象などのカテゴリーの発展的で構造的な諸関係を明らかにする学問です。今日は必然ということばにこだわって医療労働について話したいと思います。

前今日的な医療労働と民医連の医療機関の誕生

 薬局での薬剤師さんの労働は、医療労働ですが、医療労働自体が公的な性格を持っています。公的普遍的な性格を持っているとはいえ、社会の中で求めれる機能を果たしているわけですから、社会的背景を考えないわけにはいきません。ですから労働のことを考えるときに、まず大切なのは、人類史的な視点から考えてみること、民主主義の歴史から考えてみること、それは年数でいえば100年、数十年というスパンになります。
 
 近代と言えば明治、明治元年は1868年ですが、これが150年くらい前です。明治政府は封建的な身分や土地制度をのこしながら日本の急速な資本主義化・侵略的帝国主義化を昔の支配的な階層・資産家・地主たちを中心に上から進め、1894年日清戦争、1904年日露戦争で朝鮮半島・台湾を植民地支配下に置きました。その後1917年にロシア革命が起こっています。これで100年前です。

 これらは国民の貧しい生活の矛盾を植民地に押し付けることで、国内の矛盾は幾分は和らいだ面もあったのですが、それは他民族に苦難を強いながらのものでした。また戦争の動機も民衆のための戦争ではありませんでした。例えば1918年には米騒動という暴動が日本で起こっています。

 政府はますます対外的には軍事的侵略的な傾向を強めて、国内では平和運動や貧困を解決する運動、平等を求める運動、人間らしい暮らしを求める運動、労働運動を徹底的に弾圧しながら国民統合を進めていったことはご承知の通りです。

 1925年、90年前には治安維持法が成立して後に権力に逆らうものは死刑もあるという法律にかわりました。その治安維持法に反対して今から90年前の1929年に暗殺されたのが山本宣治という人です。九条診療所の山本先生のお爺さんにあたる方です。

 その山本宣治の葬儀の場で、満足に医療を受けられない労働者農民のための病院を作ろうといって全国の労働者農民からカンパをあつめて、1930年にできたのが、民医連の診療所です。東京の大崎診療所といいます。それから翌年末までに青森、大阪、山梨、千葉、京都にも民医連の診療所が同じ脈絡でできました。

 1933年3月に三陸地震という大きな地震があり、大崎診療所から支援に医師や看護婦が行きました。看護師さんの証言があります。

 私たちはまず役場に行って持参した義捐金や衣料などを渡し、すぐ病人の診察を始めました。ところが三時間もそれをやっただけですぐ逮捕されてしまったのです。地震で被災した患者さんみんなが行列を作って診療の準備を待っているのにです。私たちは別にビラをまいて宣伝活動をしたわけでもないのですが、役場に行った時、大崎無産者診療所から来たことと、“この義捐金や衣料は、粗末なものであるが東京の貧しい人びとの心づくしのものであるから被災者の方々に分けてあげてほしい…”と正直に話したので、それが宮古か盛岡に報告され、特高警察から、逮捕しろと命令が出たのだと思います。

 それでもあとからあとから民医連の診療所が作られては弾圧され、1941年に新潟で最後の診療所がつぶされるまで頑張りました。

社会の必然としての民医連

 国や自治体が設立してくれる・応援してくれるというわけでもないのに、つぎつぎと民医連の診療所ができたということは偶然で一過的なことだったのでしょうか。世の中の主流は侵略戦争に駆り出され、あやしい現地の人を殺戮すること、国の内外で戦争に奉仕することでした。しかしそこに人が暮らしているかぎり、そして医療に困っている限り民医連の診療所が求められたわけですから、それは偶然ではなく必然だったわけです。
 
 そこで働く諸個人は偶然なのですが、組織の生成と継続というのは必然なのです。問題が解決するまで、さまざまな偶然的な人たちが、必然的な思いで集まって民医連の運動に参加する、支える、カンパするというのが民医連の歴史の中での偶然と必然なわけです。
 

新しい医療労働—基本的人権に奉仕する仕事

 戦前の民医連の診療所がつぶされて、戦争が激しくなって、原爆も落とされて、それ以上戦争遂行の能力も意思も喪失して、ようやく日本は産業や文化の基調、国民統合の思想を天皇や力ではなく、民主主義と平和にすえるようになりました。一番大切なのが基本的人権ということになりました。
 これは医療労働・薬剤師労働にとって大変重要なことです。国民皆保険制度のもとでの医療労働・医療活動が国民の生存権を具現化する現場になったからです。医師の診察、看護師の処置や声掛け、薬剤師の知識と指先、まなざしが人権をその都度実現するという社会になったわけです。
 
 そのことが自覚されるのか、それとも人権の実現が何かとの引き換えだったり・手段になっているのかどうか、これが、今の瞬間の人類史を自覚的に生きるかどうかということの重要な境目になると思います。

民医連の医療機関や薬局の性格

 戦争が終わったのが1945年74年前です。翌年には早速民医連の医師・看護師が活動を始め、1953年に全国的な連絡が取れ、綱領を決めています。
 民医連の医療機関・薬局の特徴は何かといえば民医連綱領です。項目としては前文と、箇条書きが6つの項目を前文と後文とで挟んであります。民医連綱領には性格と機能と歴史的ミッションとが書かれています。歴史的というのは、永遠ではなく現代的という意味です。現代にとって必然的という意味です。

 

非営利

 民医連の性格は非営利ということです。これは人権の実現を営利獲得の手段にしないという点で大事なことです。もともと医療は直接に基本的人権に奉仕しうるという公的・普遍的性格を持つものですが、その存立と継続とは今日、商業的採算がとれるかどうか(という私的「営利的」活動)にかかっている、というのがたたかわねばならない矛盾となっています。

(話が長すぎるので「まとめてください」のメモを目にする)
 

人権を保障し実現する機能

 次に、どちらかというと機能に近い点ですが、

  • 「人権を尊重し、共同のいとなみとしての医療と介護・福祉をすすめ、人びとのいのちと健康を守ります」
  • 「地域・職域の人びとと共に、医療機関、福祉施設などとの連携を強め、安心して住み続けられるまちづくりをすすめます」
  • 「学問の自由を尊重し、学術・文化の発展に努め、地域と共に歩む人間性豊かな専門職を育成します」
  • 「科学的で民主的な管理と運営を貫き、事業所を守り、医療、介護・福祉従事者の生活の向上と権利の確立をめざします」

 だんだん機能以外のことも書いてあります。
 

使命(ミッション)

 民医連綱領にはこれから実現していくこととして、次の項目が挙げられています。

  • 「国と企業の責任を明確にし、権利としての社会保障の実現のためにたたかいます」
  • 「人類の生命と健康を破壊する一切の戦争政策に反対し、核兵器をなくし、平和と環境を守ります」
  • 「権利としての社会保障の実現のためにたたかいます」

「権利としての社会保障の実現のために…」「戦争政策に反対します」「核兵器をなくします」って厚労省でも外務省でも自衛隊でもないのに会社の社訓に相当する文書に書いてあるのってスゴイですよね。
 
 書いてあることも思い付き的で一過的で偶然的なことですか? 必然的なことです。必然的なことは実現させねばならないですし、必ず実現していきます。だからこそ、韓国でも民医連ができました。軍事独裁政権のもとで苦労して苦労して、ようやく軍事政権でなくなって、日本の民医連の見学に来て、全国組織の日本の民医連を見て、韓国民医連のお医者さんは「これで私はやめられなくなった、やめてはいけなくなった」と苦労の決意を背負って帰国されたのですが、必然の力というのはそういうことなのだなと思います。

 

民医連に就職したわけ

 哲学で食べていくことは今でも昔でもよほどアタマと運との両方が良くなければできないでしょう。どうせ哲学で食べていけないのなら、そういう必然を自覚して働いている人たちの中にいるのが、自分に向いているのかもしれないと思ったからです。実際向いていて役にも立ったかかどうかは自信がありませんが、自分はそうでなければ、お金の力だけを信じるような不自由な人間になっていたかも知れません。
 
 薬剤師の皆さんは哲学専攻の学生とは異なり、自分の専門と仕事とが極めて隣接しているか一致していて、しかもご自分の能力を発揮することが直接に日々の人権の実現となるという崇高で幸福な職業を働いていると思います。
 忘年会に来ている学生のみなさんも、ぜひ民医連の職場で自覚的労働者としてともに働くことを選択肢としてお考えいただきたいと思います。
 
 最後に皆さんのご健康をお祈りし、ご奮闘もお願いして長い話を終わらせていただきます。ありがとうございました。

2018年8月19日第43期全日本民医連第1回評議員会での講演「韓国社会的医療機関連合会創立と今後の課題」韓国社会的医療機関連合会共同代表・韓国医療福祉社会的協同組合連合会会長 林 鐘翰(イム・ジョンハン)氏

 25年前(1994年)、私は日本を訪問させていただいたのですけど、そのときはアンソン(安城)医療生協の皆さんと一緒に来ました。そのとき日本の医療生協を見てとても大きい衝撃を受けました。その当時、私はその衝撃があまりにも大きくで、一生私はこの仕事をやらなければならないのだという気持ちになりました。言いわけをつくってこれを避けたらいけないという気持ちになりました。帰国後、アンソン医療生協をつくり始め、いままでインチョン(仁川)平和医療生協というものを創立しながらやってきました。それが1994年からですけれども、そこからいままでいろんな生協運動が韓国でありました。そういう流れの中で韓国でも医療生協運動が定着し、医療福祉社会的協同組合も出発しました。そしてこの連合会が参加して、ことし韓国社会的医療機関連合会が創立しました。振り返ってみたら、もう25年間の歴史ですけれども、たゆまずここまで走ってきました。
 …いま韓国でも不平等の状況、格差が広がりつつあるところですけれども、社会の不平等に関しましてジニ係数というのがありますが、それによると2011年の韓国はOECD加盟国の中で2位で、アメリカが3位です。…韓国でもこの社会の不平等のシステムというのが本当に深刻になっております。
 そして韓国の社会も高齢化の社会です。2030年になると韓国も世界「4大老人国家」、超高齢国家になります。韓国の医療費の水準と推移人口の増加、それによって医療費も増えるべきですけれども、OECDの国家の中で、10年間医療費の上昇が第1位というのが韓国であります。韓国社会と医療の公共性いま産業化・都市化の変化の中で所得の不平等、健康の不平等が広がりつつありますけれども、そういう中で医療の公共性を確保するためのいろんな運動が起きました。最初は民間レベルでの医療保険運動、そのあと全国民の医療保険統合一元化運動。いまの医療保険のいいところもありますけれども、地域のコミュニティーが弱まって、そして急速な高齢化によって、そういう不平等の問題がもっともっと増加しております。

 …私たちは(日本の)民医連の方向や価値を同じにする社医連であります。(拍手)医療の公共性、そして脱原発の運動、考えている哲学のすべてが全日本民医連と社医連が一致しているということです。(笑い)なぜK民医連かと言えば、社医連と民医連がこういうふうに同じ志を持っていることで、やはり私たちはK民医連だと思います。完璧に同志です。