いのちと健康を守る「架け橋」に いのちと健康を守る「架け橋」に

事務局日誌

2019年3月9日

新しく異動してきました。

初めまして 3月に法人本部に異動してきましたKです。

以前は、京都駅から歩いてすぐの九条診療所という、創立60年以上の歴史のある診療所で働いていました。その診療所のことをご紹介したいと思います。

『東に鴨川、西には五重塔で有名な東寺があり、JR京都駅からも南へ徒歩数分という九条診療所ですが、ここ東九条はみなさんがお持ちであろう京都のイメージとはほど遠い、非常にパンチの利いた、強烈な個性のある地域です。
地域住民の2割が在日外国人であることから、今この時代に読み書きのできない人もいて、病識のない人も多い。患者の3割は生活保護受給世帯、無料低額診療事業の利用者が2割と大変多いことも、九条診療所の大きな特徴です。ほんの20年ほど前まで、行政に見捨てられたスラム街といわれていたこの地域では、日々の暮らしに誰もが必死。そんな人たちを相手に、うわべだけの正論や理屈では通用しません。「病人だったら医者の言うことを聞け」なんて権威はまるでないのです。向こうも必死なら、こっちも本気。腰をすえ根性を入れ、強い意志を持って地域医療と向きあう覚悟を持たないと、ここでは仕事になりません。それでも、一度信じられると見込んだら、まるで身内のように慕ってきてくれる。この社会的、経済的には恵まれない土地で、九条診療所が歯科を併設し、訪問看護ステーションの開設や居宅介護支援事業所の認可を受け、ことし60周年を迎えられるのは、歴代の職員が一丸となって地域密着型医療に尽くしてきた情熱と、それを受け入れ、評価してくださる正直な患者たち、地域の医療機関、介護福祉施設、行政とのネットワークがあるからこそです。
勤続20年になる山本勇治所長は、昭和初期の代議士、山本宣治(通称山宣)の孫にあたります。山宣とは産児制限や平和運動に命をかけた人物で、1929(昭和4)年には天下の悪法、「治安維持法」に国会で反対し、その結果右翼に暗殺されて、わずか39歳で生涯を閉じました。この暗殺が契機になり誕生したのが「無産者診療所」で、現在の民医連です。貧富や生まれに関係なく、誰もが安心して医療が受けられることが創設の目的であり、この志は今も変わらず引き継がれていることを山本所長は日々現場で実感しているといいます。
病気を治すだけではなく、患者の生活を丸ごと受け止め、現実に寄り添うこと・困ったことはないかと電球を換えるのを手伝ったり、隣近所とのトラブルに一緒に対応する、郵便物をチェックしに行くなどするなかで、何が生活改善のヒントになるだろうと探ったり、無料低額診療の相談につなげたりと、誰もが差別なく安心して受けられる医療の実現に奮闘しています。これからも心の通った医療の草の根活動に、スタッフ全員でまい進していきたいと思います。』

これは、ある雑誌で診療所のことを書いた文章です。なかなか大変な感じはしますが、スタッフは仲良く、明るく頑張ってきました。今後も粘り強くやっていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。Kでした。