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薬剤師のつぶやき

2015年12月4日

芦生からヒマラヤへ

11月半ば民医連共済会主催の芦生の森トレッキングツアーに行きました。

すでに葉を落としている木が多く、木の枝を通して空がよく見えました。かろうじて木の枝にくっついている葉は、この木が何であるかを私に教えてくれているようでした。水色だった空は灰色に変わって雨が降り始め、15年前に買った泥除けカバーを久々に足につけて歩きました。

 

それはワーキングホリデーでニュージーランドにいた時に買ったもので、国立公園をトレッキングするのに役立ちました。国立公園には山小屋があり、トイレや水も使えるので、シュラフ、ガス、鍋、食料をリュックにつめれば2泊3日ほどで歩けるコースが整備されています。ふもとの町のバックパッカー(安宿)で知り合った人と歩くこともあります。

 

その山歩きが高じて、ネパールでランタン谷をシェルパと15日間歩きました。旅行者を襲う山賊もいるので、このシェルパに私の命がかかっています。途中の村でヤクの乳で作ったミルクティーを飲む時がほっとするひと時です。2001年のお正月は高山病で嘔吐し、シェルパに連れられ少し下山するという幕開けでした。

 

ゴアテックスの登山靴に、ダウンのジャケット、軽量化されたリュックの私を、足はわら草履、体には布をまとい、頭をはるかに超える物資を額から腰にかけた紐に結わえ、大股で坂道をグングン登っていく現地の人はすごいなと思うと同時に、恥ずかしいなと思う気持ちがありました。彼らはくらしを生きていて、私は非日常の旅をお金をかけて楽しんでいる。ヒマラヤの自然の前に感じたちっぽけさと、豊かさの中にいるちっぽけさ。

 

彼らはけがや病気をしたらどうするのだろう。こんな山奥で。

けがや病気をしないという未然に防ぐ知恵と、けがや病気をしてからの知恵はどんなものがあるのだろう。私が漢方に興味を持ったのもそういう経験から。

 

「チベット医になるためにヒマラヤの山中のベースキャンプから薬草採集実習に地図のない山の中へでかける。遭難、落石、獣など命がけの薬草採集。自ら薬草を採集し、薬と成し、患者の脈に触れて診察する。チベット暦の8月15日の満月の光の下でしか作ることのできない神秘の薬。夜中を徹しての丸薬作りに祈りをこめる。丸薬も人も月光の影響を受けて、、、」

 

精華大学の講堂でこの話を聞いた時、私は漢方薬局で毎日生薬を、はかって混ぜて袋詰めしていたので、大きなショックを受けました。私の足りないものを指摘されたようだったから。

 

私と同じ年代の薬剤師がチベット医になった本「ぼくは日本でたったひとりのチベット医になった ヒマラヤの薬草が教えてくれたこと」を是非読んでみてください。昔の人がそうであったように、もっと大地と人とつながる必要があるのかもしれない。

 

 

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西本願寺の大きなイチョウの木もやっと黄葉してきました。

イチョウは西洋では葉っぱがお薬。日本では生のイチョウの実(銀杏)は排尿作用、炒った銀杏は抗利尿作用として使われてきました。

 

コスモス薬局 松田