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平和・社会保障

2017年10月13日

辺野古

10月、高江と辺野古に行きました。いわゆる座り込み、、、初体験。

 

高速の料金所で窓を下すと、セミの声。ああ、まだ夏。

 

高江ではゲート前のテントに那覇の女性、東京からの応援2人が座っていました。那覇の女性は若いころに石垣島に移住し、本土では伝えられない基地の問題があまりに多くて衝撃を受け、那覇に来て活動をされていました。地図や資料から高江の今までの闘いを話してもらいました。那覇からは高速を使っても2h以上かかります。交通費もばかにならず、ガスを使用しない生活を面白おかしく話されていました。一人はコーヒーをいれてくれ、辺野古沖のボートで抗議活動中、イカの珍客がボートに乗りあがってきて大騒ぎになったと話されていました。もう一人はオペラの台本を考えながら。

 

筑波から沖縄に実習生として来た医学生が訪問し、民医連の就職も考えていると。ありがとう、待ってるからね。久米島のお墓参りより、基地問題が気になると来られた愛媛の男性もいました。

 

そんな穏やかな状態ですが、対面のゲート前では、アルソックの警備員が15人ほど等間隔おきに立ちはだかっていました。1hおきごとに配置が変わるくらいの変化しかなく、時間が長く感じる仕事は、私には拷問だなと思いました。1日の警備費は1800万だとか。2桁違うんじゃないの。ほかにもゲートはあり、無人地帯を警備していました。これはまさしく、税金の無駄遣い。

 

翌日は辺野古のキャンプシュワブのゲート前へ。「辺野古新基地の違法工事の中止」、「オスプレイ配備中止」、「サンゴ・ジュゴンの海を壊すな」、「美ら海を残せ」など、訴えることはたくさん。

 

毎日9時、12時、15時に、工事車両が入ってくるのをゲート前で通せんぼう。小1時間、沖縄県警、沖縄防衛局、アルソックと攻防が始まります。座り込みメンバーは私よりも人生の先輩たち。

 

「歩道を封鎖するのは道路交通法違反ですよ」と言いながら、沖縄県警(こちらは皆ヤング)が座っている私たちの腕を掴み、ゲート前からはじきだしていきます。座り込み歴の長い方は、抵抗しません。されるがまま、抱えられるがまま。さすが、年の功。ビギナーの私は抵抗(言葉だけで)。あんな大きな声を出したのは久しぶり。

 

脇の歩道に連れ去られ、警官に囲まれて身動きできず。「あなた達、歩道は歩くところよ。そっちこそ道路交通法違反でしょ」。

大きな権力を持つ人が弱者に圧力をかける構図が、基地問題、原発問題、労働問題しかり。

 

スイミーみたいに、小さき者も思いを一つにすれば解決できることがあるはず。

 

座り込みの時以外はテントの中で、工事の進捗状況だとか、新聞で報道されたことなどマイクで話されるので現状が把握できます。また沖縄の唄、三線の演奏もあり休憩時間は和やかです。バナナもらったり、飴もらったり。定年退職し、名古屋から単身で沖縄にアパートを借り、座り込みに通う人も。奥さんは助産師として働き、ご主人をバックアップしていました。

 

 

「米軍が最も恐れた男、その名はカメジロー」の映画を行く前に観ました。戦後米軍統治下の沖縄で、圧政の下、米軍を恐れず、不屈の精神をもって抵抗された瀬長亀次郎さんのドキュメンタリー映画です。投獄されても、那覇市長になっても、正義を貫きます。そのお孫さんが、ゲート前でリーダーとしてマイクを持って訴えておられました。沖縄民医連の方でもあります。

 

宿のオーナーは事故で頸椎損傷され車いす生活。犬と猫の3人?暮らし。お薬カレンダーもありました。血圧が70/40くらいなので長時間の外出は難しくなっていると。手だけで操作できる車で那覇まで運転されていました。「冷蔵庫にヘルパーさんが作った煮物があるから食べていいよ」と。いやいやそれはできません。あれ、もしかしてお部屋の片付けもヘルパーさん?

 

高江では先日ヘリが墜落炎上しました。こんな危険な地域を放置している政府に一言言いたい。なので、選挙で1票投じたいと思います。

 

コスモス薬局 松田