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事務局日誌

2018年3月31日

民医連とエスペラント

本部のエスペランティストです。
以下は民医連内の新聞に掲載してもらおうと寄稿したものの、採用されなかった私の記事です。

 

□ 当時の国会でただ一人、治安維持法改悪に反対した山本宣治が国会での治安維持法反対の討論を封殺され強行採決され、右翼青年に刺殺された1929年3月5日。その通夜の枕元で「山宣記念病院」を作れとの構想が練られ、大栗清實の起草によるアピールが発表された。大栗清實は日本初の無産者診療所(東京・大崎)の初代所長を務めた人物であるが、彼が社会科学を学んだのは国際共通語エスペラントを学んでいた縁があったからだという。なお、戦前の無産者診療所が戦後の民医連の病院・診療所の前身であることは言うまでもない。

 

□ エスペラント(語)は1890年頃、ロシア植民地支配下のポーランドでユダヤ人医師ザメンホフが創り出した。当時のポーランドはロシア語以外が禁止された多言語地域であった。当時に生きた著名な人物としてはキュリー夫人(1867-1934)が、挙げられる。

 

□ 「言語が通じないので話し合いが困難であることに民族間の争いの一因がある」からだと、「誰でも簡単に学べ・使える」国際語として、エスペラントは創案された。その後エスペラントは両世界大戦を通じて人道活動や平和運動・労働運動の国境を超えたコミュニケーションに実際に使用されてきた。たとえば大阪の三島無産診療所の看板にエスペラント語が添えてあったほどである(下の写真を参照。写真をクリックすると大きな写真を見ることができます)。

 

□ 今日エスペラント語話者・学習者は世界に数百万人と言われ(インターネット学習で急増中)、たいていどこの国にもエスペランティストが存在する。エスペラントを学ぶだけで知り合いが世界中に簡単にできる。知り合いや友人が住んでいる街の上に爆弾を落とそうという人はいない。そういうわけで、エスペラントを学ぶこと自体が平和活動になりうるのである。

 

□ 私は学校での外国語は大変苦手であったが、エスペラントの学習を始めて2年くらいで「ヨーロッパ言語共通参照枠」試験でB2(筆記、英検で準1級相当らしい)に合格できた。今もメールやSNSで世界中のエスペランティストたちと情報交換を楽しんでいる。

 

 

(画像は三島診療所のそれ、モスクワでのエ スペラント版「ヨーロッパ言語共通参照枠」試験の様子)