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事務局日誌

2020年3月3日

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』と民医連

本部のJです。

2019年本屋大賞はブレイディみかこさんの『 ぼくはイエローでホワイトデ、少しブルー』(新潮社)という本でした。インターネット SNS 上でのブレイディさんの発言には注目をしていたので購入して読んでみました。

 

誰かの靴を履いてみること empathy

この作品によれば、イギリスでは公民科の教育が中学校で始まり、その目的は次のようなものです。

「質の高いシティズンシップ・エデュヶーションは、社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける。シテイズンシップ・エデュケーションは、とりわけデモクラシーと政府、法の制定と順守に対する生徒たちの強い認識と理解を育むものでなくてはならない」。「政治や社会の問題を批評的に探究し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない」

そして、初めての期末試験がの最初の問題が「エンパシーとは何か」だった。ブレイディさんの息子さんの答えは「誰かの靴を履いてみること」でした。これは英語の言い回しとして「他人の立場に立ってみる」ということだそうです。

エンパシーに似た言葉に「シンパシー」というのがありますが、どう違うのでしょうか。「答え」は著書か辞書を読んでいただくとして、英英辞書によるとエンパシーは「「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」(the ability to share someone else’s feelings or experiences by imagining what it would be like to be in that person’s situation>)だそうです(リンク先参照)。こうした能力が、民主主義のために必要だというのですね。

社会格差が広がり、貧困層や低賃金労働者層に対する差別意識の強いと言われるイギリスですが、民主主義の祖国の一つでもあるだけに、立派な科目があるものだと感心しました。

 

思いを馳せる力

後日、『民医連医療』2019年10月号に広島県民医連県連事務局の石田将士さんが「平和ゼミナールピースナビゲーター養成」という報告で次のように書いておられるのを読んで、こういうことがエンパシーという能力の醸成にとって大切なのだ、と強く感じましたので、紹介いたします。

 

 私がいつも平和ゼミナールを運用する上で受講生に伝えたいと思っていることは、「広島に原爆が落ちて十何万人亡くなりました」とだけ言うと、話の色味が薄く、数字だけしか伝わらないということです。そうではなくて「原爆の落とされた8月6日の朝、そこに一人ひとりが住んでいて、どのような生活をして、何をしていたのか、ということを知って、考えて、実感して話してほしい」ということです。そうすることで、被爆者の方々の思いを伝承し、伝える側の人間になれると思います。

一人ひとりのことを考えるというところを突き詰めていくことによって、ふだんの業務でも、目の前の人を「多くの患者(利用者・組合員)さんのなかの一人」ということではなく「『目の前にいるこの人』はどういった人なんだろう、どういったものを抱えているんだろう」ということを意識して仕事をしてもらうことにつながれば、ということを考えながら活動しています。

(そのために)とくに重要視しているのは、「沖縄に行くこと」「被爆体験の聞き取り・被ばく医療制度の歴史を学ぶ」、そして(自分のことばで話せる)「ピースナビゲーター」つまり碑めぐりガイドの養成です。(丸括弧は引用者。文章の一は引用者が少し入れ替えています。)

「量」ではなく一人ひとりのことを考えるという能力のためには、当事者の声を丁寧に聞くこと、現場に行ってみて話してみることなどの取り組みが大事だというのですね。

 

医療の分野でも統計が「科学」として正当扱いされ、統計に合わない訴えが「非科学的な妄想」とまで貶されることすらあります。

患者さん、利用者さんのひとり一人の声に耳を傾け、注意と敬意を払うことのできる「能力」が「共同の営み」としての医療=民主的な医療実践のために必要なのだろうと思います。