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事務局日誌

2022年2月1日

沖縄本土復帰50年—琉球政府(沖縄)「復帰措置に関する建議書」について

本部のWです。
今年は沖縄の本土復帰50年です。私の父母は「沖縄を返せ」を歌ったことがある年齢です。
さて、タイトルの「復帰措置に関する建議書」は、本土復帰に際して沖縄県の声を日本政府と国会に手渡すために作成された建議書です。わたくしは先日それを初めて読みました。それは次のように書いてありました。
 

 

復帰措置に関する建議書


琉球政府は、日本政府によって進められている沖縄の復帰措置について総合的に検討し、ここに次のとおり建議いたします。これらの内容がすべて実現されるよう強く要請いたします。 
昭和四十六年十一月十八日
琉球政府 行政主席 屋良朝苗
 
一、はじめに

…戦前の平和の島沖縄は、…(僻地であることと、沖縄に対する国民の偏見によって)…始終政治的にも経済的にも恵まれない不利不運な下での生活を余儀なくされてきました。 その上に戦争による苛酷の犠牲、十数万の尊い人命の損失、貴重なる文化遺産の壊滅、続く二十六年の苦渋に満ちた(米軍支配という)試練、思えば長い苦しい茨の道程でありました。 …アメリカは沖縄に極東の自由諸国の防衛という美名の下に、…膨大な基地を建設してきました。基地の中に沖縄があるという表現が実感であります。 百万の県民は小さい島で、基地や核兵器や毒ガス兵器に囲まれて生活してきました。 それのみでなく、基本的人権すら侵害されてきたことは枚挙にいとまありません。 …基地あるがゆえに起こるさまざまの被害公害や、とり返しのつかない多くの悲劇等を経験している県民は、復帰に当っては、…基地のない平和の島としての復帰を強く望んでおります。…
 
二、基本的要求

…幾多の苦難と試練を通して県民が最終的に到達した復帰のあり方は、平和憲法の下で日本国民としての諸権利を完全に回復することのできる「即時無条件かつ全面的返還」であります。 また、これまでたえず軍事的に利用され、悲惨な沖縄戦をも体験した県民は、再びこのような状態に自らを置くようなことがあってはならないと日頃から心に固く決めているのであります。

 

 

「建議書」を政府と国会に提出! の直前に

本土復帰に当って、毒ガスも核も基地もない、平和憲法が行き渡る平和の島として日本に帰りたい、そうして基本的人権を踏みにじられてきた県民の人間性を回復したい、という願いを込めたこの建議書はどうなったでしょうか。
 
1971年11月17日、「沖縄返還協定」が国会で強行採決されました。この返還協定はアメリカ軍基地の固定化を前提としたものでした。 
また、この強行採決は、琉球政府の屋良朝苗主席が、「建議書」を国会に届けるため、羽田空港に降り立つ直前の出来事でした。沖縄の基地はなくならない、固定化されたまま。この国会決議を知らないままホテルについた屋良主席は、詰めかけた新聞記者から質問されて初めて知り、あぜんとしてしまいました。
 
屋良主席は「沖縄県民の気持ちは弊履(へいり、ヨレたぞうり)のように踏みにじられた」と日記に書きました。
 

 

沖縄本土復帰50年の今年、もう一度、何度でも、沖縄の願い、平和への願いを読み返さなければならないと思います。この「建議書」は沖縄公文書館でネットで読むことができます。
また、民医連職員の方は、『民医連新聞』2022年1月17日号の「沖縄復帰50年 米軍基地のいま」をぜひお読みください。今日も、基地あるがゆえの自然破壊と健康被害、人権侵害などについて告発しています。

追記:
新憲法によって、天皇に政治的権能はなくなりましたが、憲法施行後の1947年9月には「米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む」という「天皇メッセージ」がGHQに伝えられたとのことです。
1947年9月19日 「天皇メッセージ」伝えられる(沖縄県公文書館)