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事務局日誌

2024年4月16日

レムキンという人

本部のYです。

 

レムキンという人

 最近、ジェノサイド防止レムキン研究所(Lemkin Institute for Genocide Prevention、アメリカにある非営利組織)という団体が、イスラエルによるガザ攻撃について何度も声明を発表し、また米国バイデン大統領のイスラエルへの支持や武器輸出について非難している、というのを目にしました。
 レムキンというのは人名で、「ジェノサイド」という言葉を使い始めた人だとのことです。

 

Rafael LEMKIN(1900年6月24日~1959年8月28日)は今のベラルーシにあたるポーランドのヴァウカヴィスクというところに生まれたユダヤ人。ポーランドの法学者で「ジェノサイド禁止条約」(日本未批准)の発案者。

 

 ユダヤ人と言えばレムキンの年代を見ても、ドイツ・ナチスによるホロコーストを想起しますが、レムキンはそれ以前からジェノサイドを罰する仕組みが、それぞれの国の国内ではなく国境を越えて国際的に必要であると訴えていました。もちろん、後年ナチスによる所業はレムキンをさらにジェノサイド禁止条約へと駆り立てたことでしょう。すでに1933年に国際連盟の法学者の集まりでジェノサイドの禁止を呼びかけましたがうまくいきませんでした。その後も呼びかけを続け、第二次世界大戦後の1948年に今の国連で全会一致でジェノサイド禁止条約が採択されました(1946年には大量虐殺に関する非難決議)。ジェノサイド禁止条約は国連発足後に採択した人間の保護に関する条約の中で最初に採択された条約であるとのことです。
 

 

 英語版のWikipediaによれば、レムキンは1948年からイェール大学で刑法の講義を担当し、1955年にはRutgers法科大学院の法学部教授に就任したとのことです。しかし、レムキンが生きている間に彼が住まう国アメリカがジェノサイド条約を批准することはなく、自分はジェノサイド防止に失敗したと考えていたようです。詳しいことは調べられていませんが、なぜだか貧困のうちにレムキン忘れ去られた人となり、ニューヨークのワンルームマンションで心臓発作で亡くなった、とあります。59才でした。1990年代の旧ユーゴやルワンダでの大量虐殺が世界で問題視されるまで、彼はあまり知られた人物ではなかったとのことです。
 

 

 レムキンについては国際法や人権法に関する研究者たちでは有名なのかもしれませんが、一般に手に取れる邦訳の本は(条約についての専門書には言及されているでしょうが)少なく(あるいは無く)、今のところ私には、詳しいことは大学の紀要などをインターネットで探しては拾い読みするしかあません。
 白水社から『ニュルンベルク合流』という本(ノンフィクションの読み物?)が出ていて、イスラエルのネタニヤフ首相も読んだことがあるとのことです。読んでみようと思います。

 

 

ジェノサイド禁止条約より

国連広報センターの「ジェノサイド条約とは?」から少し引用して、この日本では見慣れない条約を紹介しておきます。
 

「ジェノサイド」の意味は?
国民的、人種的、民族的または宗教的集団の全部または一部を破壊する意図をもって行われた、次の行為のいずれをも意味します。

  • 集団構成員を殺すこと。
  • 集団構成員に対して重大な肉体的または精神的な危害を加えること。
  • 全部または一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること。
  • 集団内における子どもの出生を防止することを意図した措置を課すること。
  • 集団の子どもを他の集団に強制的に移すこと。

 

処罰の対象となる行為とは?

  • 集団殺害
  • 集団殺害を犯すための共同謀議
  • 集団殺害を犯すことの直接かつ公然の教唆
  • 集団殺害の未遂
  • 集団殺害への共犯

 

ジェノサイドに対する訴追を免除される人はいるのか?
いません。