映画「あんのこと」
本部のYです。
実は映画「あんのこと」を観ました。
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21歳の主人公・杏は、幼い頃から母親に暴力を振るわれ、十代半ばから売春を強いられて、過酷な人生を送ってきた。ある日、覚醒剤使用容疑で取り調べを受けた彼女は、多々羅という変わった刑事と出会う。 大人を信用したことのない杏だが、なんの見返りも求めず就職を支援し、ありのままを受け入れてくれる多々羅に、次第に心を開いていく。 週刊誌記者の桐野は、「多々羅が薬物更生者の自助グループを私物化し、参加者の女性に関係を強いている」というリークを得て、慎重に取材を進めていた。ちょうどその頃、新型コロナウイルスが出現。杏がやっと手にした居場所や人とのつながりは、あっという間に失われてしまう。行く手を閉ざされ、孤立して苦しむ杏。そんなある朝、身を寄せていたシェルターの隣人から思いがけない頼みごとをされる──。 | ||
事実にもとに撮られた映画とのことです。登場する稲垣吾郎さんが新聞で「胸が張り裂ける」、「撮影から1年半過ぎた後も、役を客観視できない、やりきれなさ」があるという新聞の記事を読んで観に行きました。
作品は観ていただくほかなく、なかなか感想を交流するのも難しい作品ではないかと思います。
作品のストーリーとは違う話ですが、収入も不安定で将来も見えづらく、「居場所」のない青年たちが、いったい何にからめとられていくのか。
刹那的な快楽、投機的な金儲け(多くの場合被害者になってしまう)、匿名犯罪が問題になっています。
まじめな青年でも、あるいはまじめな青年であるからこそ、自分たちの力の及ばない超越的な権威(カルト宗教や「国家」、目立つパフォーマンスの「政治家」)に惹かれてしまうのかもしれません。
「努力したら成功できる社会」とか「再チャレンジできる社会」の結果が今の格差社会ではないでしょうか。そこでは失敗・落伍は「自己責任」です。
「世代間格差」も問題にされますが、若者が苦しむ社会で高齢者が幸せに暮らせるはずはなく、高齢者が苦しむ社会で若者だけが(あるいは子育て世代だけが)楽しい社会などあるはずがありません。(不思議なことに、貧乏人が苦しんで金持ちが楽しく暮らす社会というのは昔からありますね。)
先日の都知事選挙では漫画家の人が「格差が進むと、漫画が売れなくなる。金持ちが一人で何万冊も買ってくれるわけではない」と言っていました。
誰もが安心して暮らせる社会は「格差」のない、または「格差」の小さい社会でなければならないと思います。