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事務局日誌

2021年2月2日

民が君子となる社会(韓国ドラマ「鄭 道傳(チョン・ドジョン)」)


 

 本部のCです。
 韓国ドラマを観ています。今回は『鄭 道傳』(チョン・ドジョン)です。史実を踏まえた歴史ドラマです。
 ドラマによれば、鄭は高麗末期の儒学者です。儒教の考えは一般に、王様が徳を以て支配し、臣民は忠義を尽くす、身分の差や上下関係などの秩序を守ることで社会をうまく運営していこうというものだと言ってよいかと思います。
 

 

 高麗末期の社会は儒教を国の考え方を建前として持っていましたが、地主が民から土地を取り上げ、作物を収奪し、多くの民が生活に困って嘆きながら暮らしている社会でした。権力者による売官(官職を売ること)も横行し、不適切な人材が権力を握り、さらに民を苦しめる状況がありました。
 主人公の鄭は儒者として、高麗の王に諫言しますが、大地主の権力者によって犯罪者に仕立て上げられ、貧しい地方に流刑になってしまいます。そこで、初めて人々が租税と地主への地代(1ヵ所の耕作地に重複して数人もの地主がいて地代を取り立てるので、農民にはほんの少ししか残らない。地主であることの証明書は偽造されたもので、役所もわいろで黙認)で苦しめられていること、高麗王朝が根本からダメになっていることを身を以て体験します。
 そうして、鄭は「易姓革命」(このドラマの場合王氏から李氏への王朝の交代)を志すようになります。このため、儒教の大切な原則「忠」を捨てることになりますが、かつての儒学の友人からも、革命の同志からも疑問や苦悩を投げかけられます。
 

 

 鄭は答えて言いました。

「私も(社会—王朝や制度—を変えるために、宮廷の会議で活動するのは)苦しいのです。苦しくなると、私は町に出かけて、立って町の様子をじっと見ています。市場には食べ物がたくさん売られているのに、道には物乞いがあふれ、飢えた子どもたちが食べ物をくれと店にたかって、腐ったものを争って食べているのです。大業(革命)を捨てるわけには行きません。民が君子となる社会をつくらねばなりません。」

 

 

 「民が君子となる社会」—鄭はこの原則を「民本」と表現し、高麗を廃し朝鮮を建国するにあたって大きな働きをすることになります。(以上はドラマでの話です)

 

 

フランス革命と『論語』

 ところで、古代中国の「天」の思想によれば、「天」は自分でその意思を示すことはないが、天意は民意として表現される。支配者(王様)徳を以て治めているならば、民の支持を受け、天意はそれによって動く。民が苦しみ、民に支持されない政治家・王様は天意によって、違う「姓」の王朝に換えられる。「易姓革命」の考えはおおよそこういうものだと考えられますが、イエズス会の宣教師たちはこの革命思想に触れ、本国に書き送りました。
 フランス革命の思想は16世紀末から中国にやってきた多くのイエズス会の宣教師からのレポートを介して、儒教道徳の平等思想から多くのものを吸収したのだそうです。
 近代的な基本的人権思想のうち、自由権的な思想の多くはブルジョアジーが封建貴族とたたかう中で芽生えてきた、ヨーロッパ起源のものですが、その背景には『論語』や孟子の思想があったことは、あまり知られていないようです。
 

 

参考:
宮崎市定『アジア史概説』(中公文庫)
クリール『孔子—その人とその伝説』(岩波書店)
中村静治『「資本論」と「論語」』(信山社)
 

 

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