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事務局日誌

2021年4月26日

オートバイ

本部のRです。

 オートバイといえば、「三ない運動」(「免許を取らせない」「買わせない」「運転させない」)の対象で、「良い子」にはまったく理解できない乗り物でした。

 

 

 

 私は、大人になってから、住んでいた桂から京都教育文化センター(東山丸太町)に素早く移動したいという目的で自動二輪の中型免許を取りました。原付での市内の移動は危ないと思ったからです。
 

 

 

 

 はじめは中古のバイク(ホンダ・クラブマン)を購入したのですが、走っている間にブレーキやクラッチのネジがチリチリと音を立てながら緩んで、壊れてしまいました。運転技能が拙劣で、転んだこともありました。このバイクは修理して弟に譲ったのですが、弟も「ガソリンタンクがグラグラするな」と動かしているうちにスポンと取れてしまい、公道をガソリンだらけにしてしまったことがありました。


 

 

 

 次は新車でないと信用できないと思い、新車の250ccのバイクを購入しました。


 このバイクで、地図も持たず北へ走っていくと日本海に出ました。まだ自動車専用道路やトンネルは少なく、峠を越えるたびに開ける視界、小さな漁村の美しさに心が震えました。
 

 

 

 


写真は常神岬らしき風景。写真をクリックすると大きくなります。

 

 

 

 

 高速道路を走ってみましたが、小さなバイクのためスピードが出ないので、後続の車から煽られ、とても怖い思いをしました。
 その後盗難にあって、無残な改造を施されたものを警察署で引き取ることになりました。
 

 

 

 

 遠くに遠くに行きたくて、高速道路を走るため、大型自動二輪の免許を取得し、400ccのバイクを購入しました。


この画像のバイクは買ったバイクではなく欲しかったバイクのひとつ

 

 

 土曜日の午後仕事が終わるとバイクにまたがって、鳥取の大山や長野県や群馬県、和歌山の潮岬など毎週のように通いました。連休にはフェリーを使って、九州や北海道にも行きました。
 

 

 

 

 20年以上このバイクに乗ってきましたが、最近は乗る機会も少なくなり、年に数回またがるだけとなってしまいました。5年ほど逡巡して、今年売却してしまいました。
 あちこちにトンネルができ、自動車専用道路ができて、以前のように「峠を越える喜び」が味わえなくなったことも、バイクを手放す決断をした大きな理由の一つです。峠の道をスピードを出して走り抜けるというのではなく、峠の向こうに開ける青い田畑や空、山の上にへばりつくような集落を見つける、体全体で季節を感じるのが好きだったのです。
 あちこちにトンネルができました。以前は山を迂回した細い国道に民家が軒を連ねていて、住んでいる人もさぞや騒音や排気ガスに苦しんでおられることだろうと思われた集落が、トンネルのおかげで、誰も通らない、一日中ひっそりとした集落となり、ついには「ようこそ○○へ」と地図付きの看板まで出すようになったところもあります。
 おお、そういえば岐阜県揖斐郡の徳山ダムもとうとう湛水が完了して、山ひだの奥の人家の跡を見ることも通ることもできなくなりました。
 

 

 

 

 今まで訪れたところで、一番楽しかったのは北海道ですが、北海道にはなかなか気軽にはいけません。でも「月」にはもう一度行ってみたいと思っています。京都から「月」には車でも日帰りで行けますよ。