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薬剤師のつぶやき

2014年5月7日

山城国西七条村&吉祥院村

松尾大社の西七条お旅所へ行ってまいりました。

5/11の還幸祭まで松尾大社から神様出張中です。

所轄の神様にはご挨拶するのがポリシーです。

 

で、お旅所の縁起を眺めると・・・

江戸時代の「松尾略注全冊」にお旅所が西七条村にあることが記録されていることと、

「京都役所向大概覚書」に山城葛野郡西七条村の記載があることが書いてあります。

 

御旅所.jpeg

 

 

で、ちょっと山城国西七条村を調べてみました。

 

そもそも山城国は平城京時代の木簡に山代と山背の記載がされていて、平安京命名のおり、桓武天皇が山城国に変えたのだそうな。

平安中期には 乙訓郡・葛野郡・愛宕郡・紀伊郡・宇治郡・久世郡・綴喜郡・相楽郡が存在していて、1485年の山城国一揆(山城国・一揆ではなく、山城・国一揆だそうな)というのは久世・綴喜・相楽の三郡での一揆だったようです。(でも宇治で会議しているらしい。)

 

縁起に出てくる「松尾略注全冊」は延享写本のようです。延享は1744~1747で、8代将軍吉宗公のあたりです。

【京都御役所向大概覚書】 はWikiによると

京都町奉行の支配地域の状況とその権限について記した奉行所役人の勤方の手引書。7巻。1717年(享保2)ころ成立。

らしいので、1717年には西七条村だったわけです。

 

で、この“山城国”葛野郡西七条村は明治に入り“京都府”葛野郡西七条村となりました。

1879年に“京都府下京区”が設置され1889年京都市が誕生。

西七条村はまだ京都市ではありません。

1890.10.1 葛野郡の西七条村・西塩小路村・梅小路村・御所ノ内村・唐橋村が統合され七条村となり、1918年.4.1.に七条村は京都市下京区に入ったのであります。町名の前についているのはもとの村の名前なんですね。ロマンを感じます。

葛野郡の名前は葛野大路に残っています。ロマンです。

 

それで、あゆみ薬局のある吉祥院御池町も調べてみました。

 

吉祥院は江戸時代、山城国紀伊郡吉祥院村でした。(池で舟遊びとかできる人気観光・別荘地だったらしい江戸時代の絵が残っています。いまも池に関係する地名が多いです。)

紀伊郡の吉祥院村・石嶋村・西中村は吉祥院村に統合されたのち、1931.4.1.京都市下京区に入り、昭和30年の南区成立で現在の南区吉祥院になりました。御池町が登場するのは昭和19年ですが、吉祥院病院のある“井ノ口”の地名はもっと古くからあるそうな。

ちなみに、石嶋村は“石原”と“嶋”、西中村は“西ノ庄”と“中河原”を合わせた名前だそうで、これらの地名が歴史ある名前だということがわかります。

 

なんだかちょっと、配薬が楽しくなりそうです。

 

何の脈絡もない写真は、現在の梅小路村です。

 

梅小路.jpeg