平和を守る意味を語り継ぐ
「祖母のうた」(東北・山形弁で)
ふたりのこどもをくににあげ
のこりしかぞくはなきぐらし
よそのわかしゅうみるにつけ
うづのわかしゅういまごろは
さいのかわらでこいしつみ
おもいだしてはしゃすんをながめ
なぜかしゃすんはものいわぬ
いわぬはずじゃよ
やいじゃもの
じゅうさんかしらで
ごにんのこどもおかれ
なきなきくらすは
なつのせみ
にほんのひのまる
なだてあかい
かえらぬ
おらがむすこの ちであかい
おれのうたなの
うただときくな
なくになかれず
うたでなく
ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
川嶋みどり(日本赤十字看護大学 名誉教授)「耳傾けよう平和への伝言—いのちと暮らしの守り手として受け継ぎ、創造し、発展させるために—」(第14回全日本民医連看護介護活動研究交流集会 記念講演)『民医連医療』2019年1月号掲載の記事からの引用です。職場で読みました。
川嶋氏は、満州事変の年にソウルで生まれ、軍国少女として育ち、15歳のときソウルで終戦を迎えました。日本に帰り日赤女子専門学校に入学したそうです。入学した赤十字の寮には、戦地から戻った従軍看護婦たちが、戦地でどれだけつらい思いをしたかを話していました。川嶋氏はそれ以来、「赤十字は戦時救護よりも、戦争を防ぐために尽力すべきとの思いをずっと持ち続けています。“平和”あってこその人間の尊厳、いのち、暮らしだと思います」と書いています。
さて、初めの詩は、同記事の「平和を守る意味を語り継ぐ」という節に、別所智枝子(看護師・詩人)の著書『ことばのことばかり』で紹介されている「東北地方の無名の老女の口誦(こうしょう)詩」として紹介されていたものです。
実はインターネットで調べてみると次のようなブログ記事が見つかりました。
(おや爺のブログ「八月の詩の旅:祖母のうた 木村迪夫(きむらみちお)」2013.8.5)
山形に、丸山薫賞、現代詩人賞、日本農民文学賞など数々の賞を受賞した・TPPと反原発を訴える農民詩人、木村迪夫(76歳)という方がいる。
今月の詩、「祖母のうた」は、木村さんの祖母が自分で作って、蚕飼い(絹を作るための蚕を飼うこと)の仕事をするときに歌っていたのを、彼が書きとったものだ。
詩人の鈴木志郎康によると、「この祖母は二人の息子(つまり木村さんの父と叔父)を中国で戦死させてしまった。戦死の知らせを受けた祖母は、三日三晩泣き続け、その後ぴたりと泣くのをやめて、この詩を作って歌って」農作業をしていたという。わたしには、彼女の自作の念仏のように思える。
「戦前の農村のひとだから字も書くことも読むこともできなかった。戦争に夫や息子を送り出した家族は働き手を失って、貧乏のどん底に突き落とされたうえ、肉親を戦死させられたのだ。」それ以後、「天子さまのいたずらじゃ/むごいあそびじゃ」と、一切、神棚に手を合わわせることはなかった。
蛇足を承知で、漢字に置き換えたものを上げておきます。
二人の子どもを 国にあげ
残りし家族は 泣きぐらし
よその若衆 見るにつけ
うちの若衆 今頃は
賽の河原で 小石積み想いだしては 写真を眺め
なぜか写真は もの言わぬ
言わぬはずじゃよ 焼いじゃもの(焼き付けたもの)十三 頭で 五人の子どもおかれ
泣き泣き暮らすは 夏の蝉
日本の日の丸 なだて(何故)赤い
帰らぬ おらが息子の 血で赤いおれの唄なの 唄だと聴くな
泣くに泣かれず 唄で泣く