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事務局日誌

2019年9月2日

薬害と医の倫理

本部のQです。

  『民医連医療』誌 2018年8月号に全日本民医連名誉会長の莇(あざみ)先生の「医の倫理(上)」(下は翌月号)が載っています。
 

  1968年、その頃はウイルス説が疑われていた頃スモン病の患者に出会い、後に北陸のスモン病患者が製薬会社と国を相手に裁判を起こしたときには「北陸スモン訴訟支援医師団」に加わったそうです。
  スモンの患者さんの診断書を作成するため、一人ひとり患者さん宅を訪ね、主治医の医院を探し当てカルテを見せてもらってスモン病の原因である「キノホルム」が投与されているかどうかを見ていったのだそうです。

しかし、この調査で、私は想像していなかった意外な事実にぶつかったのである。それは、多くの診療所は率直にカルテを開示してくれたが、一部にはスモン症状の出現時期からみて、「このころからキノホルムが投与されたであろう」と推測できるころのカルテの処方欄だけが消しゴムで消去されているカルテに出くわしたり、あるいはまた「カルテは保存期間を経過したので焼却(全部又は一部)した」という医師に出くわしたりしたことである。…処方欄のキノホルムの部分をナイフで削り消去したカルテや、その患者のカルテは保存期間が経過したので消却したという医師――こんな事例に遭遇して、「患者の立場を全然考えていない」「医者とは一体なんなのか?」と、自分自身が医師という立場からか、しばしば自責の念にかられ、気が重くなったのであった。

  また、1970年までに世界中でキノホルム剤についての副作用報告が製薬会社に送られていたのに、「当時からキノホルムの使用量、内服例が世界で最も多く、その結果として「スモン」が多発した日本からの」報告は皆無であったとのことです。
  莇医師は、全国でスモンが発生し、北陸でも自殺者が出るくらい患者・住民が恐怖している「スモン」について製薬会社にも保健所にも通報せず、患者を無視・無関心でいた医師たちは、臨床医が地域社会で果たさねばならない役割や「医の倫理」とは程遠い医師たちではないか、と思ったとのことです。
 

  「奇病」としてスモンが発病しはじめたのが1960年代。中央薬事審義会がその原因をキノホルムと疑ったのが1970年、患者が裁判を提訴したのが1971年、それが和解したのが1979年。日本医師会は1977年になってようやくスモンについての「初めて」見解を発表しました。
  それは武見太郎会長(当時)の発言として出されました。

「投薬は指示された通り投与している限り、医師の責任はない…。…効能書きに載せられていない…薬の副作用については医師に責任がない」「…効能書きにかいてないことまで、医師に責任はない…」。

  発病から20年。日本人1 万人以上が病み、不治を絶望して自殺者が続出した事態に対する医師の発言として「医の倫理」を見出すことのできない発言ではないか、と莇名誉会長は振り返っています。



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